徒歩旅行氏の詳細な旅行記を読解することを試みるブログ

原文
2007/12/22遊記--時計台、大通公園、狸小路閒?
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan/Japan2007/1222.htm


朝起きて顔を洗い終わると、ベッドの枕元に座り、最後の半日である今日はどこにゆこうかと考えをめぐらせる。冷蔵庫の上にボタンがあるのに突然気づいた。冷蔵庫を開け閉めした後に保冷の音が睡眠に響かないよう避けるためのものだ。でも今知っても遅すぎる。次回はもっと気をつけよう。確かにこの3泊、冷蔵庫の音がうるさかった。



パッキングをすべて終えて、下へ朝食に。まずフロントで朝食券をもらう。朝食はいつもどおり。でも今回はシャケ、塩鯖を三つづつ取った。豊かな朝食は、僕の旅行の一日の体力のいちばん大切なみなもとだ。


8時29分、部屋を出るとき、特別に写真を撮っておく。名残惜しい。これが旅行というものだ。チェックアウトして正式の領収書をもらう。単なる個人旅行であって出張ではないのだけど、でも記念にはなる。8時36分、CHISUNホテルを出る。またホテルの外観を撮る。どのみち一日だろうと三日だろうと、泊まったホテルには情がわく。ホテルというものは旅行のひとつのポイントであり、そのホテルを選んだ縁もあるからだ。

 

別の方向を選んで出る。前二日間はホテルを出たら右にいきさらに左に行った。今日は左にいきさらに右へといった。さらにまた左へ直行し、予定通り大通公園を前に進む。でも奇妙なことに、歩きつつ時計台に着いたとき、ホテルからここまでゆっくり歩いたにもかかわらず、たった6分しかかからなかった。時計台に入るつもりはなかったが、でも来てしまったので、見学することにする。2003年は外観の写真を撮っただけだった。


時計台はもともと札幌脳学校の演習場で、札幌農学校は北大の前身でもある。入場料200円。僕は二人目の見学者だった。中に入って見学してみれば、歴史資料が詳しいのがわかった。時計台の沿革や北海道開拓史がわかりやすく説明されている。その中でも印象的だったのは北海道の人口が100万を突破した1970年だったこと、最初の地下鉄東豊線は1988年になってやっと開通したことなどだった。どうりで東豊線の車両は古臭く感じたわけだ。東西線と南北線もあわせて、全て僕は乗った。ほかには北海道庁と道になる前の函館、札幌、根室三県の歴史もあった。根室の発展がそんなに早くからあったことをいぶかしく思った。だって今は単なる小さな町にすぎないからだ。


それから2階へ上る。9時15分に鐘の解説を人がするからだ。時計台の鐘は機械式歯車で運転されているので、このような旧式スタイルはおもしろい。解説は毎日この時間しかうやらない。僕は聞き取れなかったけど、でもボディジェスチャでもいくらかはわかるものだ。まことにこの工業時代の製品には感服する。どのネジもみな精密に計算されており、何時にいくつの鐘を打つのかまで計算されている。どうりで機械式の腕時計ファンがいるわけだ。


9時50分、時計台を出る。今回見学して良かった。収穫を感じた。去る前に外観を数枚記念に撮る。そう、時計台の真向かいの2階からなら時計台がもっといいアングルで撮れる。



大通公園のほうへ引き続き歩く。意外にもテレビ塔の前に出た。まさかCHISUNホテルとここが地理的にこんな感じだとは思わなかった。昨夜なんか地下鉄に乗りまくったのに。もっと早く知っていれば、そのまま歩いてホテルに帰れたのだ。しかももっと早く。ラッキーにも10時ちょうどの写真が撮れた。台湾にもう帰らないといけない。大通公園は雪でいっぱいだった。雪を踏みしめて歩く最後の巡礼にはもってこいだ。僕は9丁目までずっと歩いた。狸小路の案内表示を見つけるために。でも見つからなかった。昨日は見たけど、もう覚えてない。でもそんなに遠くはないはずだ。道を間違えるかもしれないが、曲がってみる。5、6丁目の間を探してみる。かなり歩き回ったけど、でも精神、体力ともにOKだ。雪が積もっているのを見つつ、雪を踏みしめて歩くのは、楽しい感覚だ。



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そこで僕は狸小路へと曲がった。ゆっくり5分進むと10時42分に狸小路6丁目についた。通りの最後までいくつもりだったが、惜しいことに7丁目までしかない。4分で最後の奥の地点へ着いた。もちろんこれではまだ歩き足りない。そこでふたたび1丁目まで折り返して歩く。とくに目的はない。ただぶらぶら歩くだけだ。人の波はまあ多いといえるだろう。3~4丁目あたりがにぎやかっぽい。この両丁目の入り口だけに信号があった。1丁目の先頭まで歩いた。2003年にはあった狸神社がなかった。茫然自失。移転してのか。ぼくは歩いてる途中ずっと注意していたのだ。でも、2003年のときに狸小路で一番記憶に残ったそれが見つからないなんて。



つらつらとホテルからここまで歩いてきて、けっこうの距離があった。足もちょっと疲れた。けれどやはり戻って神社を探してみよう。あるかどうかは確かじゃないけど。5丁目でやっと見つけた。12分かかった。2003年のときに無かった目新しい風格の建物の隣にあった。それは狸小路の各商店とは明らかに違う場外馬券場、宝くじ売り場で、5丁目のシンボルだった。どうりで僕の注意を引かなかったわけだ。通り過ぎたときは別のものに目がいっていたのだろう。なんにせよ、見つかってよかった。たくさん撮った。どうせ今回のメモリカードは8Gもある。使いきれない。通りすがりの人がどのようにして祈るのか注意した。それも撮った。狸の神像の頭、首、胸、腹をさするのだ。写真から見るに、この場所は特に明るい。おそらく神像が傑作だからだろう。隣には証明書らしきものが120円で入手でき、多くの人が持っていく。ぼくはいらない。でも2個の1円を賽銭箱にいれた。神社の人に誤解されないことをのぞむ。僕は賽銭箱にお金をいれただけで、その紙を取りにきたわけではない。



満足のうちに4、5丁目を出て狸小路商店街へ。5、6丁目はすでに来ている。このときラッキーなことがおきた。さっぽりで雪が降り始めたのだ。おーいえー。すごい。北海道を出るこのときになって、また白い雪が体にふりかかるうまみをと降雪体験を味わえるなんて。感謝。歩きつかれて疲労困憊、でも心はハイだった。駅へと歩く。雪が舞う美景を楽しみつつ。この路上で路面電車を見た。惜しい。もっと早く知っていればよかったのだが。昨日買った一日共通乗車券でも路面電車に乗れたはずだ。体験したかった。


大通り公園をまた通ると、白い雪の広場はやはりきれいなままで、テレビ塔も撮った。このとき11時35分。もういい時間だ。駅に行って空港へゆかねば。でも時間はそれほど急ぐ必要はない。ゆっくり歩いて白い雪が舞う美景を観賞する。一歩また一歩と札幌駅に近づくにしたがって、憂鬱になってきた。雪をまだ充分に見ていない気がした。雪の地面を歩いたのもそれほどなかった。空港へいく列車の本数は多いので、そこでまた駅の周りをぐるりとぶらぶらすることにした。北口広場に行き撮った。ここははじめて札幌に来たあの夜、道に迷っておおいに疲れた出入り口だ。駅内をぶらつく。ついに僕は西改札口への通路まで来た。鐘の広場に着いた。2003年、ここは印象深かった。たくさんの人がここで待ち合わせをしていたからだ。今は閑散としている。月日は過ぎて、物事は移り変わる。待ち合わせスポットが変わったのかもしれない。



売店で北の旅人のクッキーを買う。同僚に頼まれたのだ。白い恋人を買いたかったが、賞味期限問題のせいで今では安心して買えなくなった。あるいは北の旅人のほうが今の心境に合ってるかもしれない。同僚にはあげずに、自分で食べよう。


ホームに入る。この列車は超混んでいた。おそらく休日のせいだろう。でもこの数日の経験からすれば、たとえ平日やオフピークであっても、列車の乗客はやはり多いことはわかっていた。でもこのときは惨めだった。僕は朝から歩き通しだったので、足が超疲れていた。さいわいにもみんなが空港まで行くわけではない。だから北広島で空席ができて、座れた。乗り換えの心配もない。4時間ちかく歩いてかなり疲れていたし、立っているのはつらかった。席に座ったとき、もし函館行きの特急に乗っていたら、自由席なら席があったかもしれず、南千歳で乗り換えることもできただろう。南千歳にはすべての列車が停まる。しかも特急なので通過駅が多く所要時間は短い。あるいは南千歳でまたレラアウトレットモールをぶらつけたかもしれない。初日の旅の心もようを思い出す。空港に30分や1時間遅く着いたところで困ることはない。どうせ僕が乗るフライトは2時間半も先なのだ。南千歳で僕ははじめて雪の上を歩いたし、氷点下の気温を味わった。僕はとこしえに南千歳を忘れないだろう。


13時1分、定刻で新千歳空港着。イミグレを探す。ここは国内、国際共用の空港で、ほかのところへの案内表示もある。道案内表示は始めははっきりしいたのだが、でも歩く歩道を出たところで、国内、国際どっちなのかの指示がなく、ちょっと道を迷った。早くチェックインして休憩して写真を撮りたいので、すぐに列に並んだ。このとき、コートは脱いでかばんの底にしまってあった。まさか、荷物検査があんなに融通がきかないとは。13時35分まで待って、つまり出発2時間前になってやっと荷物検査が始まった。あらためて列の後ろに並びなおすしかない。2度目のチェックポイントに着いたときには、もうのこり数分。それでも検査はできない。列から抜け出る人もいた。僕はまた最後尾から並びなおしたくはない。このとき、列はもう長蛇になっていたから、そのまま並び続けるしかない。13時40分、やっと荷物検査が進められた。



チェックイン時に取れた席は9Kだった。やれやれ。僕はすでにネット予約してあったが、席はそこではなかった。でももういい。席がちょっと前の方になったのだから、飛行機から早く出られるだろう。待合室で休む。こうやって休んでいると、旅をしている気分がして、とても愉快な気持ちになる。窓の外は雪の花がぽつぽつと落ちている。この光景がますます旅行ののどけき静かさに彩を添える。惜しいことに、降雪はわずかだった。カメラでもよく映らない。外に出てまた雪を感じたいが、もちろんそれは無理な話だ。雪を見て嘆くことしかできない。免税店の中は、台北ゆきの2便があるせいで、台湾人客が「努力」していて、混んでいた。店の売り上げはよろしいだろう。この客だけで今日の売り上げ予定のもとは取れたんじゃないかってぐらいに。昼飯はまだ食べていない。機内食にしとこうと思ったが、でもたこ焼きを見ると懐かしさからつい買って食べた。これは初めて日本旅行に来たときの思い出なのだ!小さいのが8個だけ、しかも電子レンジ、それで500円はちょっと高い。生理的には満足しないが、心理的には充分満足した。



ごったがえす免税店や、窓の外の駐機中の飛行機を撮ったり、座ってちょっと物思いにふけったりする。機内に入ると、いつものようにエコノミークラスに進む。スッチーに導かれてやっと気づいたのだが、9Kというのはエバー航空のプレミアムローレルクラスの席だった。ボーディングパスにもPremium Laurelと書いてある。僕が待合室でボーディングパスを見たときには気づかなかったのだが。ローレルとはどういうことなのかわからない。台湾に帰って調べてやっとわかった。アップグレードされるというのは実に気持ちいいことだ。団体ではなく個人で航空券を買うとこういういいところがある。この席はより広く、スリッパもあり、フットレストも快適で、足もまっすぐ伸ばせる。体も横になって休める。目インディッシュもチョイスできる。のみもの、フルーツジュースはいかがとスッチーが常に伺いにくる。暖かい毛布も2枚くれた。前にビジネスクラスにアップグレードされたときと大差ないけど、また書いておくに値する。札幌から台北まで4時間かかるので、席がくつろげる感じで良かった。


飛行機がタキシングしていると、地上の従業員がこっちに手を振って別れの挨拶をする。僕も手をふる。さよなら北海道。新千歳空港もやはり雪が積もった美景だった。でも心に往来する気持ちは違う。うれしくもあり、名残おしくもある。



離陸すると映画が見れる。行きはいい映画を見た。きっと新しいよい映画を見れるだろう。やはりそうだった。アジア映画のチョイスで見れたのはジンギスカンの日本映画。これはここ数ヶ月に封切られたもので、機内で見るには良い。でも惜しいことに思ったほどうまい映画ではなかった。僕はジンギスカンの小説を読んだことがあるので。
あるいは物語があまりに長く、映画の時間はあまりに短い時間なので、ジンギスカンの戦場での成功は撮れなかったのかもしれない。でもまあそれでもいい。僕の知っている史実とはちょっと違うけど、でもどうせこれは 日本人がもっている資料で撮られた映画なのだから。


機内のメインディッシュは店で食べる洋食のようなもの。一品一品、わずらわしい。どれもレンジで暖めたものなのでまずい。エコノミークラスのシンプルな機内食でもかわりない。


19時5分、台湾着。飛行機を出る。旅は終わった。例のごとく、写真を数枚撮り、台湾に帰った証拠とする。それから車を運転して家に帰る。車の中のラジオが、今日12月22日は冬至だという。へえ。



今回の北海道冬の旅は満足だった。雪もたくさん見た。降雪風景も期待にたがわなかった。あるいは台湾では雪を見るのがあまりに少ないからかもしれない。北海道では毎日雪が見れたとはいえ、でもやはりまだ物足りなく思う。もっと多く滞在できたらよかった。大雪が降りしきる光景をまた見たい。また雪を踏みしめて歩きたい。


~~おわり~~(*原文ママ)

 

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