徒歩旅行氏の詳細な旅行記を読解することを試みるブログ

2007/12/20遊記--洞爺湖、小樽運河
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan/Japan2007/1220.htm



朝起きてみると、あまりからだの具合がよくない。たぶん昨日は風を浴びすぎたせいだろう。今日は特に注意しておこう。朝食はやっと満足なものにありつけた。和洋折衷のビュッフェ。ご飯大盛り、シャケ、塩鯖、それにミルクとオレンジジュース、茶。すばらしい朝食だ。


お腹いっぱいになって部屋に戻り、荷物を仕分ける。小さなかばんひとつにして楽になって今日の観光の準備をする。部屋のキーをフロントにあずけ、ホテルから出て数歩、靴下を重ね履きしてないのに気づいた。この数日は重ね履きをしていたのだ。取りに戻ろうか思案したけど、8時34分の列車まで時間はないし、このときもう8時10分すぎだったので、まあいいや、そんなに影響は出ないだろうと。(でも後になって靴下を重ね履きしないと、やはり足が冷えるのを知った)



時間がないので、駅に着いたらすぐにホームへ直行し、写真撮って列車に乗り込む。わあ。札幌はやはり大都市だ。自由席の窓側はすべて埋まってる。通路側の席に座って眠るしかない。途中で見た車窓は雪がたくさん積もってたが、でも降雪はしてなかった。9時53分、東室蘭着。変なことに結構な人数が下車した。登別より多かった。東室蘭には大企業があるのだろうか。だって今日は木曜なのだ。それからは車窓を見ることができた。でも洞爺駅ももうすぐだ。


ネットでは洞爺湖についての情報は調べなかった。駅の周囲に湖はあるからだ。少し歩けば着けるかもしれないだろう。だからバス情報も調べてなかった。駅構内には洞爺湖関連情報がなかった。駅をでてバス停をさがした。バスターミナルみたいのがあるのだろうと思ったら、バス停だけだった。それは駅の右前にあり、時刻表を見れば、10時21分、10時35分に洞爺湖へゆくバスがあった。列車が洞爺駅に着いたのは10時15分。バス時刻表のほかの時間について知りたければ、写真をみてください。



途中の風景もまたよかった。いくつかの火口が見えるような場所を通った。10時55分洞爺湖道南バスターミナル着。ターミナル内にはたいした観光情報はない。どこに行ったらいいのかもよくわからない。このあたりにはぶらぶらできそうな場所はなさそうだ。温泉街もとくに興味はない。それは洞爺湖の下のほうにあり、歩いていける。遊覧船が見えた。毎時出航。このとき11時5分。でもまだ出航してない。あたりを見回す。観光客は僕だけだ。どうやら運行停止してるらしい。12時発のに乗りたかったけど、そのときになっても客が僕一人だけだったら、いかがなものか。僕を乗せるためだけに出航したら、船の経費はあまりに割りあわないだろう。そこであたりの写真を撮る。少なくとも洞爺湖の地名の碑文を撮ることができたので、記念にすることができた。とはいえ、こうはいっても、洞爺湖はいいなと思った。



ほかに交通手段がないことがわかった。洞爺湖は一周約43キロ、歩いて一周りするのはできっこない。上のほうには、金比羅火口があたりに被害を与えた散歩道があってそれを見たかったのだので、歩いていくことにする。途中で戸や子文化センターを通る。2008年にサミット開催まで200日の看板がある。どうやら彼らはサミットに誇りと関心を持っているようだ。それからぶらぶら歩く。金比羅火口災害散歩ルートへの正確な道なのかわからなくなったがどうでもいいことだ。方向さえ間違ってなければ。やはり道は合っていた。新しいけど廃屋になったホテルが2つ見えたし、道のすべてが隆起したおそろしい光景も見た。進んでいくとこの道は木材とチェーンでロックアウトされて先に歩けないようになっていた。僕は引き返したくは無かった。前に歩き続けることにした。どのみち視界もいいし、今まで通ってきた道も遠望でっきる。ちょっと探検ぽいじゃないか。実を言えば僕は知らない場所を、長時間歩くそういう感覚がとてもすきなのだ。今回のように行き当たりばったりでも、たいていはうまくいく。最後には安全にアスファルト道路に戻った。この間、僕は鉄柵を2度よじのぼった。今思い出しても面白い。こういう旅は後味がいい。



 

アスファルト道路をずっと歩いてくと、そのまま山を登っていく形になった。こういうルートは疲れを感じない。それから噴火口入り口に着く。遠望すると火山口から噴煙がたちのぼっているようだ。そっちへ歩く。洞爺湖は歩きに来ただけで充分だ、観光はどうでもいいと思った。火山工までざっと来て見れば、昔とは違ってるらしい。火口北側の道はどうだろうか。ちょっと行ってみると冬季閉鎖とのこと。でも僕はあきらめず、数100m歩いた。入り口には鉄柵があって道をふさいでいた。先の道を見やれば雪が積もっている。この道は知らない道だし、アクシデントもこわいので、あきらめるしかなかった。そうでなければ、1.6キロで南口までそのまま歩けて、途中の火山地形も観賞できるし、実にいいルートだっただろう。残念だ。ネット友人よ、機会と興味があれば、4月から10月に行ってほしい。そうすればこのルートが歩ける。



このまま戻るのも味気ない。火山資料館の前にある洞爺湖展望台と金比羅火口展望台へ歩くことにする。およそ1.4キロ。道はいい。でもちょっと登りなので疲れる。道案内どおりにいけばいい。駐車料金がかかるほか、道を歩くだけでも金を取られる。しかも1000円と高い。まじでいただけない。でも見晴らしがよくたくさんのスポットがみえる。噴煙をあげる火口は見れたが、金比羅火口は凍結していた。金比羅と僕が見た噴煙を上げていた火口は違うものだったのだ。ここは私有地で、どうりで道を歩くだけで金をとられるわけだ。


ここの風景はよい。洞爺湖全景が見れるし、洞爺湖の碑文もある。その前にはカメラ用の台もある。僕はもちろんこの機会を逃さずに、自分の記念写真を撮った。それからまた金比羅火口を取って、白い雪に覆われたその火口を見た。奇景といえよう。爆発前の光景を想像するのはむずかしい。この2箇所の風景はよい。でも1000円かかる。やはり高すぎである。人はいっぱいいた。幸いにも自分の記念写真が取れたので、それでよしとしよう。



すぐに山をおりる。洞爺湖温泉バスターミナル13時15分発ののバスに乗らないといけない。バスを降りたときに帰りのバスの時間は調べておいた。これは自由旅行だと自分でやっておかねばいけないことでもある。そうしないと時間の配分がむずかしくなり、いたずらに時間を無駄にしてしまう。このとき12時58分。下山なので自然と足ははやくなる。しかも登りのときに近道の看板を発見していたので、13時14分につけた。ほっとした。バスは13時19分についた。13時22分に客をのせはじめた。バスは火口資料館を経由する。この時間差は受け入れられた。しかもバスは停車する様子だったので、僕はバスに手をあげずにすんだ。13時55分洞爺駅着。180円。洞爺湖温泉ゆきのバスは所要時間が7分少なく140円である。理にかなってる。洞爺湖の旅は、しいて言えば満足だったといえよう。このとき駅前では小雪がちらついていた。



 

駅の時刻表を見ると、14時に札幌と函館ゆきが同時に出る。うまいぐあいだ。僕は長万部に行くプランをやめて小樽にした。普通列車だと3時間43分かかり、さらに長万部まで23分、計4時間ちょっとかかる。面倒くさすぎる。しかも冬の日は短い。風景もみれない。これだと列車の旅行の意義もない。ならば特急で札幌に戻り(15時43着)、16時発の快速で小樽にゆこう。そのころには空は真っ暗で車窓も見れないだろうが、札幌までの特急に乗ってる間なら海の景色が見れるのでいいいじゃないか。うたたねだってできる。
小樽までずっと立ち席だった。4時ごろで退社下校時間でもないのに、なんで乗客が多かったのか。16時38分小樽着。おひさしぶり。


勝手知ったる小樽運河をゆく。このとき空はもう真っ暗。遅く着いたのに後悔はしたけど、でも小樽の美景は夜にあることはもう知っていたので、たいして気にならなかった。小樽もあちこち雪が積もってる。運河のわきを歩く。冬の運河の冷え冷えとしたさびしさ。浅草橋で夜景を撮る。2003年夏に来たときのような新鮮さはなかったけど。気温3度。とても寒い。中国語を話す観光客がたくさんいる。なまりからすると台湾人のようだ。小樽は夏冬かかわらず人を人をひきつけるとみゆる。



懐かしさをいだきながら小樽運河食堂へ。17時25分、昼と夕食を一緒にたべる。2003年のときはこの蔵屋の店で食べなかった。どこだったかはっきり覚えてない。いずれにせよ運河食堂に来るだけで懐かしい。人とは往々にしてそういうものだ。かつて来たところ、かつて食べたところに感慨を覚えてしまう。食べ終わってから小樽倉庫ナンバー1の通りへゆく。平日のせいだからだろうか、小樽運河食堂も客がほとんどいなかったし、ここもそうだった。このとき6時近く。人がいちばん混む時間のはずだが。でも観光客が少ない。食事客も少ないのは当たり前のことだ。


また運河歩道をめぐる。がっかり。北海道というのは本当に夏がいちばん美しく、生気があるようだ。夜景すら2003年のときに300万画素で撮ったソニーのデジカメのほうが、今の1020万画素のキャノン一眼レフよりきれいにみえる。浅草橋にもどる。北の国からの音楽演奏はなし。小樽の美点がまたかなり落ちた。僕も写真をたくさん撮ってなにがしかの記念にするぐらいしかできない。4年ぶりの差はそれほどないけど、でもイメージとしての好感の落差は大きかった。それでも僕は小樽がやはり好きだ。



のんびりと小樽運河を離れる。手宮線遺跡まで歩く。始点から終点まで行くのがいい観光になるのだが、でも今のように厚く雪が積もってると、レールすら見えないので、歩いてもどうってことない。べつの通りを歩く。距離は短い。店はすべてしまっている。しまいまで歩かずに引き返す。榎本武明の小樽都通りに来た。2003年のときに榎本を特別扱いしてたたのを覚えてるが、今も小樽都通りは榎本武明をブランドにしているようだ。こういうやりかたは実はよい。通りに活気を与える。


駅にむかう。7時近い。小雪が舞う。すぐに興奮してきた。でも大降りにはならなかった。降った時間も短かった。景色を真っ白にするまでにはならなかった。このとき僕は歩道橋から小樽街道を見た。2003年も同じことをした。そのときは高いところから写真を撮りかたかったからだ。今は昔の旅行の足跡を懐かしむためだ。時間はまだ早いので、歩道橋わきの長崎屋にはいる。9時まで営業。だから店内を見て回る。でも足が疲れた。売り場をぶらつくのは、日本に来ても恒例だが、魅力と新鮮さがあんまりないので、さっさと見て数分で出た。雪はやんでいた。そのまま別の歩道橋にすすみ、紀伊国屋に入った。19時半まで営業。うん。まだ30分ある。中に入る。水滸伝の日本語訳の本がめっけもんだった。しかもすでに200万部出ているという。すごい。自分で創作しなくても、翻訳するだけで、たんと金儲けしたということになる。


紀伊国屋を出る。看板を記念に撮りたくなった。何度かためしたけど、露出がうまくいかない。AV値を低くあわせればうまく撮れることに気づいた。うれしい収穫だ。それから駅へ。外にある鐘を叩く。実は鐘には説明があり、2度たたけば列車に乗ること、3度叩けば列車を降りることを意味する。僕は適当に乱れ打ちした。ホームには7つの小さな鐘があり、僕はすべて叩いてみたし、乱れ打ちした。どうせ気まぐれなものなのだ。札幌にもどる普通列車はすいていた。さよなら小樽。こんどいつ来るかはわからない。ずっと後にまた来るかもしれないし、あるはもう来れないかもしれない。



20時14分札幌着。遅い時間だ。歩き疲れてもいる。もうどこも見に行きたくはない。じかにホテルにもどる。ルームキーと朝食券をもらう。部屋に戻ると渇きを感じた。一階まで降りて自販機を探したがない。エレベータわきの説明版をこまかに見れば、うわ、7階にあるらしい。がんばってたとどりつくと、あった。スタミナドリンクととスポーツドリンクを買う。これは僕が日本で必ず飲むものだ。風呂に入ってビタミンCをおぎなう。今夜は室内温度が充分に温まってない気がする。というより熱い!。昨夜は体調が悪かったからその差だろう。エアコンの設定をかえる。天気予報をみれば、あすあさっては札幌は雪。よっしゃ。僕は大雪降りしきる体験をもっとしたい。

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