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徒歩旅行氏の詳細な旅行記を読解することを試みるブログ
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2009.10.07旅行記  大阪、水陸両用バス乗れず、大阪城、心斎橋、道頓堀

2009/10/07遊記--大阪-水陸兩用巴士未成、大阪城、心齋橋、道頓掘
http://www.wayfarer.idv.tw/Japan/Japan2009/1007.htm


今回の飛行機出発時刻は8時25分、逆算して、5時に起きた。出国に必要な前準備はすでに前夜にしてあるので、今日は顔を洗えばもう出発だ。同僚NEDはすでに僕の家の前の道で待っていた。

僕はABNアムロ銀行のクレジットカードで航空券を買った。2万元の買い物なら空港の外周駐車場に停められる特典を受けられる。航空券1枚は9366元だったが、3人分だったのでサービスを受けることができた(これはプラチナカードの特典らしく、どうやら今はクレジットカードの特典はかなり縮小してるようだ)。NEDの車を僕の駐車場に停めさせ、僕の車で空港に向かった。

道中は特になにもなかった。でもまさかいわゆる外周駐車場が空港からあんなに遠いとは思わなかった。以前は空港の周辺駐車場にすべて停めていたから、どうってことなかった。6時47分に空港第2ビルに着いて地図を見ると、その距離があまりに遠いことがわかった。駐車場をさがして空港の第1、第2ビルをめぐる。NEDはあわてて同僚に電話して、道を探し、やっと五福駐車場の場所がわかった。これはいい経験になった。次回の自由旅行では、駐車場への道を探す手間がだいぶ省ける。とはいえ次回はクレジットカードと提携してる別の駐車場を使うだろうけど。この駐車場は屋根つきなので安心した。車が雨でびしょぬれになったり、陽にさらされることもない。この数日になって台風が渦を巻き始めていたので、車が外でむき出しにならなくてよかった。

幸いにも、このハプニングにたいした時間はかからず、7時12分に第2ビルに着いた。同僚たちはもうチェックインカウンターにいる。今回さらに僕と同行する人はBRUCEとHANNNIBAL。そのほかの同僚もまた数グループに分かれる。ツアーもあれば、自由旅行の人もいる。会社が出してくれる旅行補助の要件は4人一緒に旅行会社で申し込むことで、ツアーだろうと自由旅行だろうと関係ない。時間がもうほとんどないので、とりあえず4人一緒にチェックインした。兆豐銀行のネットで日本円を買うとき、NEDに助けてもらった(操作をまちがえてTCを買ってしまったのだ。キャンセルはできないし、再購入もできない)。なのでNEDとキャッシュを買いに行った。NEDは保険を買っている。2千元をもこえる値段。クレジットカードは信用してないと彼は前に言っていた。ABNアムロ銀行のクレジットカードがないので、彼はあらためて保険を買うのだった。それから彼は外にタバコをまた吸いにいった。彼を待ってるとき、僕も写真を撮った。空港の外の風は涼しくて気分がいい。

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イミグレにいき、通関。最近のニュースによると中国大陸が頭角を現してからというもの、台湾に来る外国人が減ったという。イミグレの人の波をつぶさに見ても、やはりだいぶ少ないように感じた。桃園空港は他の国と比べるとだいぶひどい。空港電車は十数年過ぎてもまだ出来ておらず、不便な交通は旅客にいい印象を与えない。バックパッカーならまだしも、スーツケースをひきずるような観光客やビジネス客にとっては本当に不便だし、外国の空港のような頻繁な高速電車アクセスに比べれば交通費もかかる。これらは、はじめて台湾に来た外人旅行者にとってかなり頭が痛いことのはずだ。

ついでそのまま表示にしたがって搭乗ゲートへ。途中のブランドショップや人の波を眺めつつぶらぶらする。これは歩いてればそのまま目に入ってくるような純粋な行為だけど、同時にまた心を落ち着かせもして、いい旅行気分への準備になる。D4ゲートに着いた。自分が乗る飛行機を撮る。愉快になる。もう7時53分なので待合室はすでにいっぱい。ほかの同僚に挨拶しながら、あちこち写真に撮る。同僚のKRISTYの旅のねらいはショッピングだ。NEDの妻は彼に買うものを頼んだので、そのリストを彼は彼女に託した。僕はなにも買わないし、しかもバックパックを背負うだけ。だから僕の20キロ分の手荷物限度を彼女にあげた。彼女は重さを気にせずに買い物できるだろう。8時5分。僕とBRUCEがまず先に飛行機に入った。機内について言うべきことはない。どうせ距離は短いし、いい映画もない。ひどい映画といってもいい。2007年の札幌ゆきの機内で見た映画に比べると差がひどすぎる。機内食も同じくまずい。しかも同僚と一緒だから、今回は窓側にも座れない。だから着陸するまでの飛行風景も撮れない。機内食を食べ終えて、日本との時差を思い出したので、カメラの時間を1時間調整して、日本時間にした。台風の影響かもしれないが、日本に近づいた時に、何度か乱気流にあい、飛行機がひどく揺れた。足がちょっと浮かびあがるような乱気流もあって、とてもこわかった。

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11時50分ごろ関空に着陸。荷物を持ち、前方の飛行機から出る人の波を待つ。スチュワーデスが礼儀よくみんなにお別れの挨拶。ボーディングブリッジの窓からウィングシャトルが見えた。なにげなくカメラで撮ろうとしたとき、外が大雨なのにやっと気づいた。別の台風が日本の天気に影響してるらしい。ウィングシャトルにのってイミグレへ。顔写真撮影と指紋押捺の手続きはまだ廃止されていない。おおいに不満だ。通関後、NEDOとHANNNIBALが荷物をピックアップするのを待ち、駅へとすすんだ。この道はよく見慣れている。06年にも通ったばかりだ。今回の宿は地下鉄に近いので、JRに乗らず南海にした。大阪は三度目だがはじめてのときも南海だった。みんなは興味深く運賃路線図を見ている。日本での最初の出費だ。

NEDが喫煙所に行った。僕ら3人はまず改札口にゆき、南海のパンフを見た。重要な資料ともいえる私鉄の全路線図がある。ざっと見ると、目的地の水陸両用バスまで2回の乗り換えがいる。地図で距離をはかるに京橋まで乗ることにする(でも実際はというと天満橋のほうが近かった)。関空からまず難波に行ってのりかえだ。難波までの本数は多い。発車時刻をとくに調べる必要もない。約10分に1本出ている。駅に入り、まずホームを撮る。発車までまだ数分あったので、会社の運動会のときにもらったバンダナを頭に巻いて、ちょっとオシャレしてみた。電車やみんなの写真を撮るのはお約束。12時44分、急行は動き始めた。

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海をまたぐ鉄橋を通過するとき、みんなに見るように教えてあげた。僕も写真をずっと撮った。窓の外は雨が降り続けている。海の広さがいい。旅の気分になってきた。12時50分海を渡り終えて、陸地の最初の駅りんくうタウンに着いた。みんなはしゃべったり地図を調べたり風景を見たり。ほとんど駅ごとに写真を撮って記録にしている。どうせデジカメは金がかからない。容量も十分だから撮りまくり。この電車は混んでいるが、見たところ、帰国した日本人か旅行者が多いようだ。窓の外の風景は、家でいうと、唐式建築からしだいに高層ビルになっていく。つまり大阪の繁華街に近づいてるのだ。13時32分、難波着。50分近い急行の運転時間だった。

改札を出ない乗換え口を探したが見つからない。すべての表示は別の地下鉄に行けることを示している。過去の経験からすれば、精算機のある場所だ。しかし、ないので改札を出てから探す。御堂筋線の表示にしたがって歩きながら地下道の風景を見る。地下道を出て上にあがると、別の地下道入り口がある。南海通りの地下道お。でもそこじゃない。あわてて道をさがす。ちょっと戻ってみても、御堂筋線の表示はない。地下鉄はみな通りにあるだろうから、そのまま歩けば何かの地下鉄には当たる。梅田、心斎橋への地下鉄を見つけた。自動切符売り場で切符を買う。宿は心斎橋近くなので、スーツケースを転がしてるNEDとハンニバルは移動が不便だ。まず宿にチェックインしよう。でももう13時50分。チェックインしにゆくまでの往復に時間はそんなにかけられないので、彼らには我慢してもらい、目的地の駅出口のコインロッカーまでがんばってもらう。僕と一緒に旅行すると決まったとき、僕の旅のスタイルを散々強調しといたのだ。バックパックにして荷物を減らしたほうがいいと。でも聞き入れたのはBRUCEだけで、彼はわざわざバックパックを買った。だからこの後の旅程でも、彼は身軽な便利さを満喫することができた。

心斎橋まで乗り、すぐに表示にしたがって長堀鶴見緑地線にのりかえて京橋。平日だからだろう、みんな座ることができた。とはいえすいていたわけでもない。京橋14時18分着。下車後にはやはり写真を撮って記録とする。14時21分駅をでる。NEDとHANNNIBALはまずコインロッカーにいって荷物をあずけた。僕は近くにある駅周辺地図と関空で手に入れた路線図に載っている水陸両用バスの位置を比べた。みんなの意見を参考にし、14時半、僕らの日本でまず最初の目的地へと正式に進みはじめた。駅を出るまでが長そうだったが、歩いてみれば5分だった(とはいえ駅構内だ)。駅の駐輪場が印象にのこった。こんなに自転車が多いのだから、日本人は自転車と地下鉄を交通手段として盛んにつかってるとみえる。それから通りを歩きつづけた。僕らは日本ではじめて傘をさした。小雨だったけど。でも楽しい。これこそが自由旅行の魅力だ。平凡な異国の町を歩けること。

小雨はふりつづく。風もちょっとある。でも歩くにはだいじょうぶ。途中で大阪城が見えたので、写真を撮った。日本のかわいい小学生たちが信号待ちしてるのを撮った。歩きに歩く。京橋からだいぶ遠い。天満宮はますます近い。南海の地図はちょっとへんだ。道に迷わないよう、たずねることにした。NEDは小さな病院をみつけ、僕と一緒に中へはいった。NEDはやはり日本では英語が通じると思っていたようだが、僕の前の体験と同じだった。病院の看護師なら英語がわかるかもしれない人がいるとしても、たずねた3人は年がいっていて、日常で英語をいくらか話したとしても、使えないだろう。どれくらい歩けば着くのかという日本語を僕が突然思い出したので、それで解決した。また数分歩く。水陸両用バスの案内板はない。HANNNIBALがコンビニで雨合羽を買いに行ったとき、僕はちょっと小走りに先まで行ってみたが、やはりない。どこかの建物でまたたずねよう。今回はわかった。近くにある。しかも天満橋駅にとても近い。その隣だったのだ。はじめから天満橋に来ればよかった。不必要なこの40分を無駄にした。さらにひどいことに、水陸両用バスは台風のため運行中止だった。日本で一番目の予定はこうして達成しえなかった。残念だ。

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目標を大阪城にあらためる。いまは3時過ぎ。時間には余裕がある。昼食がまだなので(機内食は食べたが)、コンビニで腹の足しになるものを買い、食べ終わってから歩いた。予定ルートになり道を歩くのは新鮮だ。路地に入っても、大阪城というわかりやすいシンボルマークがあるので迷わない。15時45分、大阪城の外堀にでた。よく整備してある舗装された歩道を歩く。小雨はしきりに降りつづいてるけど、楽しい。ロードトレインの乗り場があった。前2回大阪城に来た時は載らなかった。今回は同僚も疲れてることだし、ロードトレインに乗るのも面白そうなので、乗ってみることにした。幸運にも最終便が16時にあった。まさにどんぴしゃ。このロードトレインは2つあり、青屋門前から大阪公園駅までは休日のみ運行。ぼくらが乗ったのは、現在地の大手門前から桜門前までで平日運行。距離は短いので、値段も200円。

待ってる間、みんなあたりをぶらぶらし、トイレにもいった。16時にロードトレインが定時に着くと、ぼくらはまず写真を撮った。相客はどうやら韓国人のようだ。社内ではのんびりきままにしゃべりながら、風景をながめた。途中で多くの観光バスをみかけた。中国人観光客の大群だ。10分で桜門に着いた。もう天守閣に近い。天守閣を見やりながら前へ歩く。売店に着いた。雨が強くなったけど、どうってことない。僕とHANNNIBALは天守閣を見学したことがあるので、入らなかった。NEDとBRUCEは僕らが励まして見学体験をさせた。それから僕とHANNNIBALは外で話などをしつつ、たこ焼きを買いに行った。日本にはじめてきた時の記憶がよみがえる。日本に来てたこ焼きを見るだけで、かならず買いたくなるほど懐かしい。店主は日本人で、妻は中国国籍だろう、そういうなまりだった。買い終わって、僕とHANNNIBALは天守閣が見えて雨宿りできるところを探し、たこ焼きを食べつつ、ほかの観光客が天守閣を撮ってるのを眺めた。意外にもやぶ蚊がいた。三度刺されてからひっぱたいた。かゆすぎる。NEDとBRUCEは30分ぐらいで天守閣から出てきた。それから歩いて数分の売店にゆき、別のところから天守閣を離れた。

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このとき17時。小雨はいまだやまない。でも観光地をひとつクリアした。のんびりと駅まで歩いて戻る。歩きつつ雨の風景を愛でる。雨の中の大阪城天守閣はあんなにも雄大で清らかだ。極楽橋をとおり、京橋口門から京橋駅へ。このとき、傘をさした一人旅の旅行者を見かけた。昔の僕の姿はああではなかっただろうか。ほんの少しの時間だったけど、名残りおしい感じがした。17時15分に大阪城を出て、4分後には前にたずねた小さな病院に着いた。同じ道は通りたくないので、そのまま川べりを歩く。雨の中の川べりの歩道はまた風情がある。前にある大型ビルの窓には明かりがついている。水曜だから日本人は一所懸命に働いているだろう、この歩道は会社帰りの道に違いあるまい。でもこのときは僕らしかいなかった。名残惜しいことに天守閣は遠ざかっていく。同僚たちの姿も心にとどめておこう。あるいはこれが僕らの最初で最後になるかもしれなくもない。川べりの歩道を離れ、来た時の道に出た。それからNEDは日本ではじめて小さな店で買い物をした。ここは駅はもう近い。それからまた別の道を通って駅へ向かう。この路地沿いには小さな店がならび、飲食店も多い。でも夕食は心斎橋散策後に道頓堀でと決めていたので、見るだけにした。京橋は繁華街のようだ。京橋でパートや、COMS GARDENの小さな広場などもある。でも平日かつ雨のせいか、人は少なく、僕らも中に入ることはなかった。

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17時46分、荷物をもって駅に入り、宿へチェックインしにゆくため電車にのる。18時4分、心斎橋でおりる。東横INNは四つ橋の近くにあるので、四つ橋線にまた乗る。心斎橋から四つは視線に乗ってから、四つ橋駅に気づいた。のりかえる必要はなかったのだ。そのまま駅を出ればよかった。この間の道はよく、歩く歩道があって体力をセーブできた。東京は恵比寿のガーデンプレイスへの道、新宿駅から都庁への道を思い出す。四つ橋駅を出て歩いて8分、やっと地面への出口に着いた。習慣的にあたりを見回す。東横INNの看板が見える。迷うはずもない。一分で歩ける距離だ。愉快な気分で18時15分にチェックイン。東横INNは前とおなじく靴下をプレゼントにくれた。KRISTY一行4人もここを予約しているので、ちょっとたずねてみたが、まだチェックインしてない。部屋に荷物を置きにゆく。ツインルームははじめてだ。東横INNのツインベッドはユニットバスがベッドの間にある。これはいい。わずらわしくない。18時半、僕とNEDはロビーにゆきネットをしつつHANIBALとBRUCEが夕食のために降りてくるのを待った。

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18時35分、ホテルを出る。地下道で歩いて心斎橋まで行けそうだが、切符を買わないと通れなかった。まあいい。みんなは地図を見ながら心斎橋や道頓堀までの道をしらべる。地図を持ってるのに、やはり方向を間違えてしまった。18時52分、西大橋駅の入り口に着いた。こんな駅だったっけ。道まちがえた。引き返して、それからまた目的地へと歩き、さらに通りを散策しないといけない。みんなの足はもう参っていた。みんなと相談したあと、地下鉄に乗ることにした。町歩きの気力をセーブしないと。西大橋から心斎橋まで2分で着いた。それから心斎橋筋へと歩く。でも地上に出てデパートへのアーケードを歩いたせいか、道を見失い、またいたずらに歩くことにあった。20分ぐらいさまよってる最中に、レストランを見つけたので、居酒屋、焼き鳥店の白木屋、どんぶり飯屋など、どれにするかをみんなと相談。意見ばらばら。でもなんとか決める。

心斎橋筋が見つからないので、地下鉄出口まで戻り、そこで道をたしかめてから、ようやく最寄りの出口へ。 前に見える通りが明るい。行ってみれば、そこが心斎橋筋だった。もう19時半になっていた。

このとき、みんなはもう歩きつかれたように見え、心斎橋筋を歩いて10分もしないうちに、讃岐うどんの店でもういいよとみんな言う。その店で食べても、しゃぶしゃぶや焼き鳥屋ほどの体力回復にはならないと思った。こういうときは松屋とかのほうがいいのではないか。とはいえみんな我慢できないほど腹が減っていたので、すぐにでも食べないといけない。人は腹が減ると不機嫌になるものだ。この店はバイキング方式で会計は最後。どれも冷たいものばかりなので、とくにおすすめできそうなものはなかった。このとき食べたのは、揚げ物などのつけあわせは注文がいらないが、麺を注文するときはちょっと面倒だが、丼の大中小の大きさを「これ」というだけでいい。03年に東京で讃岐うどん屋にはいった経験が生きている。エア筆談する必要もない。日本の店では懐かしのあのおひやがでる。日本ではもう慣れっこだ。セルフサービスなので、自然に水をとりにいって飲む。20時8分、ごちそうさま。ちょっとしゃべってから店を出て、ひきつづき通りを散策。

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心斎橋筋から道頓堀のほうへゆくと、ドラッグストアがあった。買い物を頼まれてる同僚を助けようと、みんなで中に入る。さがしてみたが見つけられず。同じものを買ってくるようにと同僚はそれを渡されていたのだが、ホテルに置いたまま持ってきてなかった。まだ最初の日の夜なので、あちこち店内を見ただけで、店員に聞くこともしなかった。ぶらぶら歩きのこういうやりかたは、僕が日本で一人旅をしてきたのと同じだ。さっと見るだけ。でも同僚たちは少し買っていた。HANNIBALはユニクロの服が好きなので、隣にあったユニクロの店もちょっとのぞいた。でもあいかわらず見るだけ。20時36分、道頓堀へ向かう。20時39分、心斎橋筋と道頓堀の交差点である心斎橋に来たが、アーケードの屋根がとぎれたので、傘をさした。この橋にある大阪城をバックに両手を上にあげて走ってるGLICOの電飾広告は何年たってもいまだ変わっておらず、シンボルマークになっている。えびすばしに進むとすぐに道頓堀の地名表示があったので、僕とBRUCEは記念写真を撮った。道頓堀はDOTONBORIと発音するのをはじめてしった。疲れたし天気もひどいので、NEDとHANNIBALは上の空で歩いてる。僕は前にここに2回来て十分に歩き回ったというわけで前回、元同僚のLOUISと帰った道を千日前までゆく。ここも道頓堀の繁華街だが、雨が強いので、かわいそうなほど人の波は少ない。

雨だからだろう。大通りを越えて、もう向こう側の千日前通りをさらにゆく。3C売り場で足をとめ、適当に見てみる。台湾より安くはない。もう21時だ。店員は客がいなくなり、店じまいしするのを待っている。応対も熱心ではない。10分ほどいて出た。

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宿へ戻る駅を探す。地下道にはいると、四ツ橋への表示があったので、すすむ。同僚はふだんはなんの運動もしてないからさぞかし疲れてるだろうから、僕は地下鉄に乗って帰ろうとしたのだけど、意外にも彼らは歩き続けたいというので、そうする。とはいえ、まずはどこかに座って水分飲んで休みたいという。残念ながら通りがかりに見つけた店は、21時半までだと店員に言われ、そのときはもう21時12分だったので、歩き続けるほかない。21時20分、地下道の行き止まり。地上にでると、またも風雨にさらされる。風雨のなかを歩くのは面白いと思ってしまうのは、ちょっとしたハプニングに出くわすのが好きだからだ。でも、ホームレスらしき人が道端で新聞紙だけでくるまって寝ているのを見てはっとした。かいわそうというか、すごいというか。ここから宿まで1回曲がるだけでゆけた。もともと宿を出て大通りを右に曲がればそのまま30分ほどで、道頓堀へゆけるだったのだ。道頓堀へゆくとき、地図でちょっと調べたのに道に迷ってしまった。世の中とはだいたいこんなもんだ。後の祭り。話を戻そう。なにもかもうまくいったら、自由旅行の探検の醍醐味がなくなってしまう。そんなのは嫌だ。

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21時35分、宿に帰る。まずシャワー。みんな各自行動。シャワー後、NEDと明日の行き先を変えるかどうか話し合う。台風で近畿地方に死傷者がでている。台風は和歌山、大阪、京都を直撃したのだ。大丈夫、ひどくても自転車に乗れないくらいだろう。でもみんなは心配そうなので、階下にいって日本のネットを見る。嵯峨野嵐山観光列車は運休だろうか。そうではなかった。安心だ。それから僕のHPを見る。JACKのコメントがあった。日本のキーボードは注音がないので、返信は面倒だ。緊急の要件でもないので、このままでいいだろう。それから台湾のニュースサイトをみる。とくに大事件はない。足が疲れたが、ネットするところは椅子がない。自販機で飲み物を買って、食堂の椅子で休んだ。飲み終わってもまだ足りないような気がして、さらにお冷やを飲む。日本旅行中、シャワーを浴びたあとに、お冷やを飲むのがとても気に入っている。数分待ってても、だれも降りてこないので、部屋に戻ってテレビをみる。NEDはシャワー後にロビーへネットしに降りていった。僕はそのままテレビを見続けた。日記をつけようとはまだ思わなかった。そういう気分じゃなかった。チャンネルをかえる。おや。負け犬女王だ。まさか日本でこの台湾ドラマが見れるとは。しかも日本語字幕。何シーンかを面白くみた。NEDはおそらくネットにはまってるのだろう。23時半になっても戻ってこない。また降りたくはないので、先に寝た。

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